2012年 11月 20日
鬼太郎ハウス奇譚 |
今年は忙しい年で、初夏に父方の祖母と母方の祖母が立て続けに亡くなった。
父方の祖母が経費していた東京の下町、駒込にあるアパートをどうするかで、揉めるほどのことは無かったが多少バタバタし、最終的には借地権を地主に返すという事で落ち着いた。
アパート経営といっても諸々の管理や、地震等何かあった際のリスクを考えると何かと面倒なので、変に欲張らずそれが無難であろう。
不動産の遺産というのは、なにかと面倒の元なのである。
都内にアパートがあるなどというと、大した財産になると勘違いする人もいるかもしれないが、土地は借り物で相続されるのは上に建てた建物の借地権だけなので、それ程大した額にはならず、土地を返す為に建物を解体し更地にする工事費などを引いて、上手くいけばいくらか手元に残るかもしれないといった程度だ。
アパートは二棟あり、一軒は祖母が生活の場としていたところで、もう一軒の二階建てのを、都内としては驚く程の破格で賃貸して、年金と合わせて生活費に当てていた。
木造の築50年近い物件で、あちこちにボロがあり、風呂は無く、トイレは共同。つげ義春ファンなどには堪らないであろう。
五年程前、二階の住人の一人が夜逃げするという事件があり、見てみると、なるほど、部屋の戸の前に金融会社から振り込みを催促する攻撃的な文面と口座番号が殴り書きされたA4サイズの用紙が貼られていた。
祖母に頼まれ、合鍵を受け取り家主を無くした部屋の家具類を整理した。
江戸間の四畳半程の部屋に、よくもまあと感心する程、食器棚だの衣装棚だのベッドだのを所狭しと並べているのを、友人に手伝ってもらい半日がかりで片付けた。
片付けたものの、祖母はもう賃貸として貸し出す気はないとのことで、というのも、その様な破格の物件に入居する者は、それなりの事情を抱えた人が多く、これまでも何かと厄介事(具体例は、とてもここには書けない)があり、自分の年を考えると、これから新しい人を入れるのは何かと億劫であるとのことなのだ。
ならば僕に貸してくれやしないかと交渉すると、半ば投げやりな調子で「好きにしていい」と言ってくれたので、半壊した壁を漆喰で塗ったり、ボロボロの畳の上にフローリングカーペットを敷くなどし、寝泊まりには苦労のないようにした。
表面だけはそれなりに小ざっぱりした部屋になり、祖母も感心してくれた。
それでもまだ、なんとなくお化けでも出そうな風情は残っているので"鬼太郎ハウス"と命名し、たまに都内に出た時の別荘として活用させてもらっていたのである。
三年程前になるだろうか、一時期体調を崩し創作に対する意欲も限りなくゼロに近かった時期があり、その時はとりあえず何か気ままなバイトでもと、上野の国立科学博物館で企画展の間だけ一夏ほど働いたことがあるのだが、その時も鬼太郎ハウスから通った。
風呂なし、トイレ共同、四畳半。
これがなかなか住めば都で、四畳半での生活は極限まで無駄を省いたシンプルなもので、ある種の洗練の域にまで達した。
たとえば食器はコップと皿一つ程しか持たず、調理器具は火口一つのガスコンロにヤカンのみ。天井裏に鼠が同居しているし、流しは小さすぎて、料理をすると衛生上の管理が困難になる様なつくりだったが、近所に安くて美味い店が多いし、すぐ目の前にのオリジン弁当もあるので不便はない。
冷蔵庫は電力のかからない小さいの一個。風呂は銭湯か隣の祖母のシャワーを借りる。衣類も最小限、夏場なので甚平が多いに役立った。洗濯はランドリー。音楽はCD、レコードの類はかさばるのでMACで。
家具らしい物といえば、ベットと、その下へ置けるプラスチックの衣装ケースと、小さな棚くらい。
どうしても幾つか手元に置かなければならないものといえば書物なのだが、これは近くに図書館があるので、蔵書は厳選し、出来るだけそちらに通うようにした。
身辺の物が極端に少ないというのは、何となく身軽な気分だった。
悩みといえば、部屋の日当たりが良過ぎてときどき熱中症になりそうになることと、たまに隣人が夜中に奇妙奇声をあげてドタドタやる(本人曰く、これは鼠を追いかけていたらしいが、はたしてどうだか)くらいなものである。
祖母とは何かと気があったので、良く一緒に商店街で買い物したり、帰りに近所のおばあちゃんおじいちゃんが集うカフェでキッシュプレートを食べたっけ。
駒込というのは、都内でも一番高齢者の多い町で、若者向けなファッショナブルな要素がある店は皆無だが、昔ながらの商店街はそれなりに活気があり、住宅地は狭いながらも庭の花や植え木の手入れの行き届いた所が多く、何か大都会のエアポケットというか、時が止まった様な、つつしまやかな落ち着きがあって、なんとも愛着を感じている。
道行く人の歩く速度が、皆たいへんゆっくりである。
夕方になると、商店街に伸びきったテープの様な音質でハワイアンが流れる。
向こうから銭湯で一風呂浴びたおっさんが、頭にタオルを巻いて咥え煙草でゆらゆら歩いてくる。
何故だかやたらに野良猫と公明党のポスターが多い。
八百屋の威勢の良い客呼びが、軽快なだけ、どこか空回ったように響く。
祖母のアパートがいつ取り壊されるのか、まだ決まってはいないが、特に駒込に友人知人がいる訳でもないので、この辺りへ来る用事はそうはなくなるだろう。
銭湯の帰り、そんな事をつらつら思いながらいつもの道を歩いていると、ちょっと切なくなった。
父方の祖母が経費していた東京の下町、駒込にあるアパートをどうするかで、揉めるほどのことは無かったが多少バタバタし、最終的には借地権を地主に返すという事で落ち着いた。
アパート経営といっても諸々の管理や、地震等何かあった際のリスクを考えると何かと面倒なので、変に欲張らずそれが無難であろう。
不動産の遺産というのは、なにかと面倒の元なのである。
都内にアパートがあるなどというと、大した財産になると勘違いする人もいるかもしれないが、土地は借り物で相続されるのは上に建てた建物の借地権だけなので、それ程大した額にはならず、土地を返す為に建物を解体し更地にする工事費などを引いて、上手くいけばいくらか手元に残るかもしれないといった程度だ。
アパートは二棟あり、一軒は祖母が生活の場としていたところで、もう一軒の二階建てのを、都内としては驚く程の破格で賃貸して、年金と合わせて生活費に当てていた。
木造の築50年近い物件で、あちこちにボロがあり、風呂は無く、トイレは共同。つげ義春ファンなどには堪らないであろう。
五年程前、二階の住人の一人が夜逃げするという事件があり、見てみると、なるほど、部屋の戸の前に金融会社から振り込みを催促する攻撃的な文面と口座番号が殴り書きされたA4サイズの用紙が貼られていた。
祖母に頼まれ、合鍵を受け取り家主を無くした部屋の家具類を整理した。
江戸間の四畳半程の部屋に、よくもまあと感心する程、食器棚だの衣装棚だのベッドだのを所狭しと並べているのを、友人に手伝ってもらい半日がかりで片付けた。
片付けたものの、祖母はもう賃貸として貸し出す気はないとのことで、というのも、その様な破格の物件に入居する者は、それなりの事情を抱えた人が多く、これまでも何かと厄介事(具体例は、とてもここには書けない)があり、自分の年を考えると、これから新しい人を入れるのは何かと億劫であるとのことなのだ。
ならば僕に貸してくれやしないかと交渉すると、半ば投げやりな調子で「好きにしていい」と言ってくれたので、半壊した壁を漆喰で塗ったり、ボロボロの畳の上にフローリングカーペットを敷くなどし、寝泊まりには苦労のないようにした。
表面だけはそれなりに小ざっぱりした部屋になり、祖母も感心してくれた。
それでもまだ、なんとなくお化けでも出そうな風情は残っているので"鬼太郎ハウス"と命名し、たまに都内に出た時の別荘として活用させてもらっていたのである。
三年程前になるだろうか、一時期体調を崩し創作に対する意欲も限りなくゼロに近かった時期があり、その時はとりあえず何か気ままなバイトでもと、上野の国立科学博物館で企画展の間だけ一夏ほど働いたことがあるのだが、その時も鬼太郎ハウスから通った。
風呂なし、トイレ共同、四畳半。
これがなかなか住めば都で、四畳半での生活は極限まで無駄を省いたシンプルなもので、ある種の洗練の域にまで達した。
たとえば食器はコップと皿一つ程しか持たず、調理器具は火口一つのガスコンロにヤカンのみ。天井裏に鼠が同居しているし、流しは小さすぎて、料理をすると衛生上の管理が困難になる様なつくりだったが、近所に安くて美味い店が多いし、すぐ目の前にのオリジン弁当もあるので不便はない。
冷蔵庫は電力のかからない小さいの一個。風呂は銭湯か隣の祖母のシャワーを借りる。衣類も最小限、夏場なので甚平が多いに役立った。洗濯はランドリー。音楽はCD、レコードの類はかさばるのでMACで。
家具らしい物といえば、ベットと、その下へ置けるプラスチックの衣装ケースと、小さな棚くらい。
どうしても幾つか手元に置かなければならないものといえば書物なのだが、これは近くに図書館があるので、蔵書は厳選し、出来るだけそちらに通うようにした。
身辺の物が極端に少ないというのは、何となく身軽な気分だった。
悩みといえば、部屋の日当たりが良過ぎてときどき熱中症になりそうになることと、たまに隣人が夜中に奇妙奇声をあげてドタドタやる(本人曰く、これは鼠を追いかけていたらしいが、はたしてどうだか)くらいなものである。
祖母とは何かと気があったので、良く一緒に商店街で買い物したり、帰りに近所のおばあちゃんおじいちゃんが集うカフェでキッシュプレートを食べたっけ。
駒込というのは、都内でも一番高齢者の多い町で、若者向けなファッショナブルな要素がある店は皆無だが、昔ながらの商店街はそれなりに活気があり、住宅地は狭いながらも庭の花や植え木の手入れの行き届いた所が多く、何か大都会のエアポケットというか、時が止まった様な、つつしまやかな落ち着きがあって、なんとも愛着を感じている。
道行く人の歩く速度が、皆たいへんゆっくりである。
夕方になると、商店街に伸びきったテープの様な音質でハワイアンが流れる。
向こうから銭湯で一風呂浴びたおっさんが、頭にタオルを巻いて咥え煙草でゆらゆら歩いてくる。
何故だかやたらに野良猫と公明党のポスターが多い。
八百屋の威勢の良い客呼びが、軽快なだけ、どこか空回ったように響く。
祖母のアパートがいつ取り壊されるのか、まだ決まってはいないが、特に駒込に友人知人がいる訳でもないので、この辺りへ来る用事はそうはなくなるだろう。
銭湯の帰り、そんな事をつらつら思いながらいつもの道を歩いていると、ちょっと切なくなった。
by tadataka_sudo
| 2012-11-20 01:42