地面の下を何処までも何処までも掘り続けます。
マントルを抜けて、それでもさらに掘り続けていき、ついには地球を貫通すると、アルゼンチンという国にたどり着くことでしょう。
私が最初に地球の真裏にあるこの国に特別な興味をもったのは、ヒトラーが最期を遂げたとされているベルリンの地下壕にあった彼の遺体というのは実は替玉のもの、偽物であり、当の本人はUボートに乗ってアルゼンチンに亡命して、その後秘密結社を組織しUFOの開発を指揮していたという陰謀論者好みの珍説を聞いたときだ。
しかし、何故アルゼンチンなのであろうか。
このヒトラー話はトンデモとしても、アルゼンチンにネオナチの残党やら奇妙な宗教団体の集落、外部からは内情が良く解らないコミューン的な組織が多く点在するということはどうも事実であるらしい。
そんなオカルト的な感心から、この国に対しては何か如何わしく秘密めいた神秘的なイメージを勝手に抱いた。
さて、私が都内の専門学校に通っていた際は笹塚に住んでいて、当時下北沢にあったONSAというレコード屋に良く通っていた。
今から10年ほど前、electronicaという言葉がアンダーグラウンドではあったが、何か新しく珍妙な電子音楽を求めている層に新鮮な響きをもって浸透しだしていた。
ジャンルといては漠然とした括りではあるが、即物的な快楽を求めるダンスミュージックとも、難解な現代音楽とも、クリシェ化したニューエイジ的な世界感とも違うアプローチで電子音楽を取り入れた音家が、コンピュータが当たり前の日常に浸透していく中で、ドイツ、北欧、日本を中心に世界同時多発的に産まれた。
onsaではその類のレコードを多く取り扱っていたのであるが、ある日そこで興味深い一枚のフライヤーが目にとまった。
アルゼンチンから電子音とアコースティックを融合させた素晴らしいシンガーソングライターが近日初来日するのだという。
アルゼンチンの電子音楽!!
なんともエキゾチックな言葉の組み合わせである。
アルゼンチンの音楽なんてタンゴくらいしか思い浮かばなかったが、南米の文化といえば土臭く底抜けに快楽的なイメージがあったので、電子音楽なんてチマチマしたものがこの国から産まれることだけで奇異に思えた。
私は直感的に、これはかなり珍妙なものに違いないと察知し、そのJuana MolinaというアーティストのCDを試聴したところ、一曲聴き終わる前にこれは絶対にライブに足を運ばねばなるまいと心に決めた。
それは単に辺境で産まれたキッチュな音楽などではなかった。
神秘的、エキゾチックという言葉がぴったりであると共に、世界にも類をみないほどに非常に高度に洗練された、繊細さと雄大さを備えた素晴らしい音楽であった。
情報社会などと言われても世の中にはまだまだ知られざるとんでもない表現者がいるのだと思い知った。
Juanaの初来日の演奏は渋谷のアップリンクという小さな映画館であった。
確かチケット代は二、三千円程度だったと思う。
当時のアップリンクは今とは違う場所にあり、雑居ビルの中ではあるが板張りの床に漆喰の壁、アンティークな内装で統一されていて渋谷の一角にいる事を忘れさせるような温かみのある空間だった。
これはただの自慢だが、ミニシアターの中でも小規模なこじんまりした会場で体育座りになり彼女の演奏を目の前で観れたのは、今までの音楽体験の中でもっとも素晴らしかったもののひとつである。
絶妙なシンセの音色、豊饒なバックホーンを感じさせるアレンジが素晴らしいのはもちろん、何よりも情熱的で繊細な歌が美しかった。
中学校の音楽の先生が「音楽を聴いて本当に感動すると全身に鳥肌が立つんですよ」と言っていたのを思い出した。
その後ステージの規模やチケットの料金は変わってきたが、彼女が来日する際には出来るだけ足を運ぶようにしている。
という訳で日曜日のhostes club weekender、火曜日のblue noteと追っかけのように続けてJuanaのライブを観てきた。
最初観た時とはだいぶスタイルが変わって、ルーパーを使い幾つもの音のレイヤーをリアルタイムで組み立てていく複雑な演奏だったが、無闇に難解なのではなく、素直に身体が反応する。呪術的な祝祭のような圧倒される演奏だった。
51歳だというのが信じられない先鋭的な感性とクリエイティブなエネルギー。
まだまだこれからどうなるのか、次はどんな音楽を聴かせてくれるのか愉しみな人だ。